続いて、本日見た映画!!
「HIROSHIMA MON AMOUR」
アラン・レネ監督作品です。
邦題「24時間の情事」と、なんともエロいですね(笑)
というより、なんでそうなるんだ!!というか。
内容は、ドイツ人の恋人を第二次大戦中に亡くしたフランス人女性が日本人男性と広島の地で恋をする話なんですが、なかなかにどろどろしております。
というのも、このフランス人がドイツ人と恋をしたことによって非国民とされ、家族に地下室へ閉じ込められる、という経験があり、それを忘れ去って生きようとして14年経ったとき、この日本人男性に恋をしてしまい、忘却していた愛を思い出してしまう、というストーリーだからです。
一種のトラウマについての映画として、様々なところで取り上げられている映画であるようです。
私は、この作品を授業の中で原爆被害の記憶というテーマにおいて見ました。
作品中では、原爆の投下された街、広島について特に作品の冒頭部分でふれられています。
しかし、ほとんどは女性と男性の恋の話です。
これが、どう広島の原爆の記憶と関係するのか…。
なぜ広島が舞台に選ばれたのか…。
見終わった後、「?」の多い映画でした。
何の前置きもなく、見ていたら、恋のトラウマの物語として見ていたと思います。
これを、原爆被害の記憶、トラウマという観点から、解釈をしようと試みてみたいと思います。
まず、原爆被害の記憶という点において。
舞台が広島で、映画の始めの部分では、
女 "私は、広島を見て、原爆の博物館を見て、広島を理解するわ"
男 "Non, tu ne sais pas(いや、君はわからない)"
というやりとりが数回にわたり、あります。(全部仏語)
ここは、女が理解していると認識していることは、本当には広島を理解していないということを示し、それを認識してほしい、という制作者の意図があるのではないかと感じました。
原爆の資料館を見ることによって、あれは悲惨だった、もう二度とあのようなことが起こってははらないと見る人が感じても、本当に被害にあった人々の気持ちや経験を共有することは出来ないという部分にシンクロする部分であると思います。
トラウマについて。
作品中では、男女が話をしていく中で、女性の過去が少しずつ明らかになってきます。
ドイツ人と恋をして非国民と扱われ、地下室で数年すごし、狂ってしまいそうな状況から脱するためにとった選択は、その恋を忘却したと思うこと。
その自分をしまっておくこと。
しかし、日本人男性と広島で出会い、だんだんと話をして、過去の話もしていくうちに、どこかにしまっていた自分が現れる。
忘却していたのではなく、どこかにしまっていただけであるということを認識する。
そして、もう忘却していた自分には戻れない。
人は、つらすぎて、しまっておくということをしなければ生きてゆけない事柄をトラウマにするのではないか、と思います。
わたしもきっと、トラウマを持っています。
小さいときの記憶はありません。
ただ、覚えていないだけかもしれないし、そうであるといいのですが、トラウマな気がします。
これについて、来週の今日ディスカッションが行われます。
さて、何をディスカッションするんでしょ?
トラウマは、ひきだされるべきか否か?
それとも、トラウマとどうつきあっていくか?
まぁ、来週を楽しみにします。
最後に、印象に残ったシーンについて書きたいと思います。
作品中で、女性はフランスに帰るという設定になっており、しかし、その男性に恋をしてしまったから、残りたいが、残れないという状況です。
そこで、お互いにもう逢うことはないだろう…というシーンで、
もし再び逢うことがあるなら、それは戦争が起きたときに愛の忘却が目覚めるでしょうというようなセリフがありました。
戦争の社会的機能としては、政治的解決手段、軍事ビジネスを成り立たせるものと、私は解釈しています。
しかし、彼らにとっては、愛の忘却を目覚めさせるもの。
再び起こる戦争は、戦争体験者にとっては、トラウマを目覚めさせるものでありうるんですね。
社会にとっての戦争と個人にとっての戦争。
そのギャップ。
これが世論と政治のギャップに繋がっているのでしょうか。
いやはや、難解。
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